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愛知県に関するブログ!!
愛知県
大きく分けて、尾張地方、西三河地方、東三河地方の3地域より構成される。面積比はほぼ1:1:1、人口比はほぼ7:2:1である。
特に尾張と西三河の2地域は、江戸幕府の開祖である徳川家康を初めとして、多くの戦国武将を出した地域としても有名である。特に西三河には、トヨタ自動車などの自動車産業が集積立地している。
郡名が県名にされた県の一つで、県庁所在地の名古屋市が属していた愛知郡から取った物である。
歴史
愛知県は、令制国では尾張国と三河国に当たる。愛知県は、支配者氏族と関係している地域である。源頼朝が生まれた地域(名古屋市熱田区)との説もあるし、室町幕府を開いた足利氏は西三河地方に細川氏・一色氏・吉良氏・今川氏など一族が多かった。戦国時代には、今日の当地で戦国三傑と呼ばれる織田信長(清洲町/尾張地方出身)、豊臣秀吉(名古屋市/尾張地方出身)、徳川家康(岡崎市/西三河地方出身)を初め、多くの名将知将を輩出し、日本を舞台に大きく活躍した。
江戸時代以降、尾張国は徳川御三家の一つである尾張徳川家の領地となり、西三河や東三河には多くの譜代大名の領土となった。尾張藩の城下町である名古屋は、都市としての発展を遂げ、東海道沿線きっての賑わいを見せた。
廃藩置県により、かつての尾張藩は名古屋県となり、後に犬山県を併合、一方の三河には10の県が制定され、後に統合されて額田県(旧尾張国のうち知多半島を含む)が誕生した。1872年に名古屋県が愛知県と改名し、額田県と合併し現在の愛知県域が確定した。
1871年8月29日 廃藩置県に伴い、従来の三河国における田原藩・豊橋藩・半原藩・西大平藩・岡崎藩・挙母藩・西尾藩・西端藩・刈谷藩・重原藩、尾張国における犬山藩・尾張藩を廃止し、それぞれ「〜藩」を「〜県」(「尾張藩」は「名古屋県」となる)と改称。
1871年11月15日 三河国と尾張国の知多郡を額田県(ぬかたけん)に統合。
1871年11月22日 犬山県が名古屋県に統合。
1872年4月2日 名古屋県を県庁所在地の郡名に因んで愛知県と改称。
1872年11月27日 額田県が愛知県に編入され、現在の管轄区域が完成。